大阪簡易裁判所 昭和25年(ハ)22号 判決
原告 有田廸夫
被告 中井証券株式会社 外三名
一、主 文
大阪簡易裁判所昭和二十三年(メ)第一二〇号約束手形金及小切手金支払猶予調停事件の執行力ある調停調書の正本に基く被告等より原告に対する強制執行を許さない。
訴訟費用は被告等の負担とする。
本件につき、当裁判所が昭和二十五年六月十九日なした強制執行停止決定を認可する。
前項に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求原因として、
(一) 原告は被告中井証券株式会社(以下中井証券という)に対し昭和二十二年八月頃同年十二月十五日切にて東洋紡績株式会社株式八千五百株、帝国人絹株式会社株式一万一千株、松竹興業株式会社株式三千三百株、鐘淵紡績株式会社株式五千株、また被告伊藤銀証券株式会社(以下伊藤銀証券という)に対し昭和二十二年八月頃同年十二月十五日切にて東洋紡績株式会社株式三千株、松竹興業株式会社株式二千株、東宝映画株式会社株式二千株の各売約定を為し、その結果被告中井証券との売約定に於て金五十七万八千百七円十銭、被告伊藤銀証券との売約定に於て金八万円の差損金を生じ、これ等の弁済のため被告中井証券に対し額面金十万円、支払期日昭和二十三年七月十四日の約束手形を同二十二年十二月十五日付をもつて、また額面金七万八千八百八十円六十銭、支払期日同二十二年十二月二十六日の約束手形を同年十二月十七日付をもつて各振出し、残額金三十九万九千二百二十六円五十銭につき、同二十三年一月十二日これを準消費貸借に改め、被告伊藤銀証券に対しては同二十三年二月二十八日付の額面金八万円の小切手を振出し、その後同二十三年一月三十一日被告中井証券に対し内金五万円を支払つた。しかして、被告中井証券は前記額面金十万円の約束手形を被告神楽太三郎に、前記額面金七万八千八百八十円六十銭の約束手形を被告神阪新一郎にそれぞれ裏書譲渡したのである。
(二) ところが被告神楽、同神阪、同伊藤銀は共同して昭和二十三年七月十九日原告に対し神戸地方裁判所に破産の申立をしたので、原告は右被告三名を相手方として同年十月一日に前記債務弁済猶予の商事調停を大阪簡易裁判所に申立てたところ、被告中井証券が利害関係人としてこれに参加し、同年十一月三十日同裁判所昭和二十三年(メ)第一二〇号約束手形金及小切手金支払猶予調停事件として右当事者間に調停が成立したが、右調停条項の要旨は左のとおりである。すなわち、
(1) 申立人は相手方伊藤銀証券に対し、前記金八万円の小切手債務、相手方神阪新一郎に対し前記金七万八千八百八十円六十銭の約束手形金債務、相手方神楽太三郎に対し前記金十万円の約束手形金債務、利害関係人中井証券に対し前記金三十四万九千二百二十六円五十銭の未払借受金債務の各支払義務あることを認めること、
(2) 申立人は相手方三名及び利害関係人に対し右債務額合計金六十万八千百七円十銭を左のとおり分割し、相手方等ならびに利害関係人本店又は住所に持参支払うこと、
(い) 昭和二十三年十二月十二日限り内金十五万円
(ろ) 昭和二十四年六月三十日限り内金十八万円
(は) 昭和二十四年十二月三十一日限り内金十八万円
(に) 残金九万八千百七円十銭は昭和二十五年六月三十日限り
しかしながら、本件調停は次の諸理由によつて無効である。
(1) まず、右調停債務の原因は、前記(一)記載の如く原告と被告等間の株式売買によつて生じた差損金であるが、右株式売買は現株の授受を目的としたものではなく、当時の株式気配調整所に於ける受渡標準額による計数上の差金を「ゆえい」の目的としたものであつて一種の博奕にほかならないから、これ等公序良俗に反する取引によつて生じた債務弁済のため、たとい前記の如く手形を振出し又は準消費貸借契約を締結してもこれは無効であり、したがつてまた右不法な債務の弁済方法等につきなされた本件調停もまた無効のものといわねばならない。
(2) かりに右株式売買が現株売買であるとしても、被告等の主張する現株は当時事実上存在しなかつたに拘わらず、原告は現株が存在するとの被告等の言を信じて取引をなし、右取引上の負分ありと誤信した結果前記の如く準消費貸借契約をなし、あるいは手形を振出し、しかして右債務につき調停をなすにいたつたものであつて、右調停当時如上の事実を了知しなかつたのであるから、本件調停に於ける原告の意思表示は要素に錯誤ある無効のものである。
(3) 以上の主張が理由ないとしても、原告は前記(一)記載の経緯によつて本件調停の申立をなしたが、右調停に被告中井証券は突如として参加し、前記株式空売買の決済額を承認しなければ更に破産の申立をなす旨強迫し、よつて原告をして右決済額を承認させたうえ本件割賦弁済の調停を成立せしめたのであるから、右調停の意思表示は被告等の強迫に基くものである。そこで、原告は本訴に於て右調停に於ける法律行為の取消の意思表示をなすものである。
よつて、以上の理由により、本件調停調書の執行力の排除を求めるものであると述べた。<立証省略>
被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因(一)の事実は認めるが、その他の原告主張事実を否認する。
調停は一面公法行為でありまた他面私法上の法律行為たる性質を有するものであるから、調停の効力の有無は調停行為自体に瑕疵があるか否かによつて決すべきものであつて、調停債務を発生せしめるにいたつた原因の無効によつて調停が当然無効を来たすべきものではない。
いま、本件調停についてみるに、手形ないしは小切手振出行為および準消費貸借契約の原因たる債務発生行為が無効なりとしても、これと別個に成立した調停上の法律行為が当然無効となるものではなく、いわんや右手形ないし小切手行為はいずれも無因行為でその原因の無効が手形、小切手行為の無効を来たさないことはいうまでもない。
しかして、本件調停は原告本人が出頭して被告等に対し、自ら前記債務を認めたうえ、その支払方法につき成立したものであつて、右調停行為自体に何等公序良俗違反の点は存しないのである。
かりに、右調停に於ける原告の意思表示に錯誤があつたとしても、原告がその錯誤を主張しえないことは民法第六百九十六条の法意にてらし明かである。
しかも、前記手形ないしは小切手振出行為ならびに準消費貸借契約上の債務の発生原因たる本件株式の取引は原告主張の如き差金取引ではなく、現物売買であると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告主張の請求原因(一)の事実はすべて当事者間に争がない。そこで、原告主張の異議理由の存否を考案する。
(一) まず、原告と被告中井証券および同伊藤銀証券との間になされた本件株式売買の性質をみるに、成立に争のない甲第一ないし第六十三号証に当裁判所が弁論の全趣旨により真正に成立したと認めうる甲第六十四、六十五号証ならびに原告本人の供述を綜合すると、右株式取引は原告と前記被告等間に於て、当初から現物の授受をなす意思なく当時の株価調整所の相場によつて、相互に売ないし買約定を仮装し、実は右相場による差金の授受のみを目的とした取引であつたことが認められ、右認定に反する被告中井証券株式会社代表者中井恒三の供述ならびに証人多田健夫の証言は措信しがたい。しからば、右取引は前記相場の変動を「ゆえい」の目的とした賭博行為にして公序良俗に反するものといわねばならないから、右被告等に於て原告に対し右取引より生じた差損金の支払を請求しえないことは明かである。
(二)(1) そこで、次に右株式取引上の差損金債務を目的として原告と被告中井証券間に締結された本件準消費貸借契約の効力をみるに、右差損金債務が賭博上の債務であることは前段(一)認定のとおりであるから、かかる不法債務を目的とする準消費貸借もまた公序良俗に違反し無効のものであつて、原告に於て右準消費貸借契約による債務の支払義務なきことは明かである。
(2) 次に、前記差損金支払のために振出された本件約束手形ないし小切手上の債務の存否を考察するに、手形(小切手)上の権利は抽象的無因権利としてその原因関係より分離され手形(小切手)上の権利の発生はその原因関係の存否ないしは有効無効によつて何等の影響をうけないものとされている。しかしながら、不法な債務の支払のために手形(小切手)が振出された場合その直接の受者ないしは悪意の取得者に対しその手形(小切手)債務の請求を認めることは、結局その原因たる不法債務の請求を認めると同様の結果になり、本来手形(小切手)の流通性を助長する目的のために認められた右手形(小切手)抽象性の濫用を許容するに等しいから、民法第九十条の法意にてらし、かかる手形(小切手)上の請求はこれを許すべきではないと解するのが相当である。
いま、本件の場合についてみるに、原告が被告中井証券に振出した本件約束手形二通ならびに被告伊藤銀証券に振出した本件小切手一通は、いずれも前記差損金の支払のために振出されたものであるが、右差損金債務が賭博債務として不法なることは先に認定したとおりである。また、原告が被告中井証券に振出した前記約束手形は同被告より被告神楽ならびに同神阪にそれぞれ裏書譲渡せられているが、被告本人神楽太三郎ならびに同神阪新一郎の各供述を綜合すると、被告神楽ならびに同神阪両名はいずれも当時被告中井証券の株式外交員の地位にあつたこと、ならびに同被告等は右約束手形の裏書譲渡をうけながら、その手形上の権利の行使に差程の関心をもたず、右手形不渡後同人等の名義をもつて原告に対し申立てられた破産申立ならびに本件調停についても殆んど関知せずかえつて被告中井証券においてこれ等権利行使の一切に任じていることが認められ、これらの事実を綜合すると、被告神楽、同神阪両名はいずれも前示手形の原因関係を知悉しながら被告中井証券の前記手形上の権利の行使を容易ならしめるためにその裏書譲渡をうけたにすぎないものと認めるのが相当であつて、右認定に反する被告本人神楽、同神阪等の各供述は措信しがたいところである。
しからば、右説示にてらし、被告伊藤銀証券ならびに同神楽、同神阪等は本件手形(小切手)に基きその請求をなしえないものといわねばならない。
(三) そこで、本件調停の効力を考察する。
調停は私法上の行為であると同時に訴訟行為たる性質を有するものであり、私法上無効の原因が存するときは訴訟上の効力もまた生じないと解すべく、調停は当事者の互譲による紛争の解決を目的とするものであるから、右調停に含まれる私法上の行為とは結局民法上の和解契約と同性質のものと解すべきである(民事調停法第十六条によれば調停に裁判上の和解と同一の効力が与えられている)。
しかして、和解に於て紛争の対象とされ当事者の互譲によつて解決した事項自体については、右和解成立後にいたつて当事者からその内容を争いえないとするのが和解契約の基本的効力として認められている。しかも、右和解による解決の対象となる争とは法律関係の存否、範囲又は態様に関する一切の争を包含するものであつて、ある債務が不法な原因によつて生じたものか否か、換言すればその履行を裁判上訴求できるか否かの争も和解の対象となりうるものと解すべきである。したがつて当事者が和解に於て如上の点を争の対象として解決した場合には、当事者は後にいたつてその債務の不法を理由に右和解の効力を争いえないことはいうまでもない。しかしながら、一方当該債務が不法か否かにつき当事者間に争がなく、したがつてその債務の存在を前提としてその支払の方法等に関する争を和解の対象とした場合に、右債務が不法なものであれば、右和解は無効なものといわねばならない。けだし、かかる和解は当該債務が不法か否かの点については何等これを決定する効力をもたないものであつて、右和解による債務の承認ないしその履行の約定は結局不法債務の承認ないしその履行の約定に外ならないから、かかる約定に法的効力を附与すべからざることは既に詳説したところによつて明かであるからである。
ひるがえつて本件の場合をみるに、本件調停に於て原告が被告等に対しその支払を約した債務がいずれも不法原因に基くものとして被告等よりその訴求を許すべきでないことは前段で詳説したところである。そこで、右調停に於て原被告間に争の対象として解決された内容如何をみると、本件調停条項立言の趣旨に被告中井証券代表者中井恒三の供述ならびに証人西川太三郎、同信濃辰次郎の各証言を綜合すると、右調停は前記債務が不法な原因によつて生じたものか否かについての争を解決したものではなく、前記債務の存在を前提としその支払態様に関する紛争のみを解決した結果分割弁済による支払猶予の調停が成立するに至つたことが認められ右認定に反する原告本人の供述は措信しがたい。
しからば前記説示よりみて、本件調停は私法上無効原因の存するところであるから、訴訟上調停たるの効力を有しないものといわねばならない。
よつて、本件調停調書の執行力の排除を求める原告の本訴請求を理由ありとして認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条、強制執行停止決定の認可ならびにその仮執行の宣言につき同法第五百四十八条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤平伍)